その光景はこの地域の風土にあい、自然のサイクルの中に組み込まれた、自然的な豊かさの光景でもある。
ゲンゲ(マメ科) 別名 レンゲソウ
私たちは、これをレンゲといってきた。辞典をみていると、緑肥、ミツバチの蜜源とかいてある。しかし、わたしが思い浮かぶのは牛の飼料としてのレンゲソウである。
レンゲが生える田に牛を放しておくと、牛はレンゲを食べたり、気持ちよさそうに座り込んだりしていたものだ。また、刈り取って、すぐに牛小屋にいる牛に餌として与えたり、レンゲを干して牛の保存食にしていた。もちろん、最後には、レンゲソウが生えているのをそのまま鋤き込んで肥料としていた。
ムギ(イネ科)
主にハダカムギをつくっていた。わたしがみてきたムギの印象は、あくまで牛のためであった。かまどにはひときわ大きな鍋をかけるところがあり、そこにかけられた鍋にはいつも牛の餌用の麦が炊かれていた。おおきな鍋で炊かれた麦をつまんで食べると非常においしかった。また、芋など調理した残りのものがよく放り込まれており、大鍋のムギの上に放り込まれ十分に蒸され状態になったサツマイモの切れ端のおいしいさは格別だった。
イネの茎(イナワラ)もまた牛に関係があった。イナワラを押し切りで短かく切って大鍋で炊いたムギとこのワラ、それに米糠を大きな牛用の茶碗(おけ)に混ぜ手入れぬるま湯を加え混ぜ込んだものが牛の食事であった。これに牛の大好物のアザミを入れておけば大ごちそうで、必死にアザミを探して先に食べてしまうのである。
ムギは人の食べ物でもあった。お米だけでは足らないので、ムギを混ぜ、麦ご飯として食べていた。炊き立てはおいしいけれど、冷えた麦ご飯は独特の雰囲気があり、決しておいしいものではなかった。
当時、ほとんどの家は草葺き屋根だった。かやがあるところは茅葺き屋根だったが、かやがないところはムギワラ葺きの屋根だった。このワラは麦では茎の長い小麦を使っていた。村の各家がノルマとして、一定面積に小麦を植え、そのワラを持ち寄って、順番に各家の屋根葺きに使っていた。村共同体の一つであった。
アブラナ(アブラナ科)
菜種と呼んでいた。熟れた実を鞘から出して集めたものを、ある時、村の倉庫へ持っていった。そこに、油の業者がきており、持っていった菜種と引き替えに菜種油をくれた。この油はテンプラなど、日常使う油だったのである。停電の時などこの油を使ってトウシミで明かりにしていた。
実を落とした後の茎は束ねて蛍狩りなどによく使ったものである。もちろん鋤込んで肥料にもなっていた。
この詳しいことについては以後整理して記述していきます。
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