神戸の炭焼き窯
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 この付近(六甲山西方)では山で炭焼きの窯跡をよく見かけます。この地方は炭焼きが非常に盛んに行われたことろです。炭焼きは江戸時代後期から昭和30年ごろまで行われていました。最盛期は昭和初期であったようです。作った炭は自宅で使う以外に大消費地であった神戸市外へ大量に売っていました。また、近くに鉱山があり精錬の燃料としても使われていたようです。電気、ガスの普及によりこの地方の炭づくりもなくなりました。
炭焼き窯跡  平成17年2月12日  神戸
「炭焼きせんのは地蔵さんと観音さんだけ」といわれるぐらい炭焼きに従事したこの地区は、昭和初期の最盛期には、30軒のこの地区に13の窯(かま)があったし、今でも山に入ると数百メートルの間隔をおいて、コー(窯の天井)のおちた窯がいたるところに見受けられる。
 炭焼きの期間は、秋じまいをした11月からツワリ(木の芽の出ること)の3月彼岸までであった。この間の生活は、炭焼きは窯まかせであるので、朝早くから夜遅くまで窯につききりであったので、正月に主人がいると、子供にどこの人かといわれるぐらいであった(以下略)
(つくはら 千年家とその周辺  神戸市教育委員会発行 より
炭焼きに利用されたコナラ  平成17年2月12日  神戸
 この付近の山を歩いていると炭焼きに利用のため切られたところから伸びなおし2又、3又になった木々がたくさんあります。炭焼きに利用されたのはアラカシ、コナラ、クヌギ、アベマキ、松、好き、桧などです。